青葉台
例えば、東京から考える格差・郊外・ナショナリズムに述べられえている青葉台像って正しいんだけど、僕の実感とはまた違ったように思えるのは彼が筑駒生であるからか、80年代という古さからくるのか。
例えば『渋谷が「広告都市」として発展していったときに、青葉台は後背地としてディズニーランド化していった』という一文をにしても、おそらくほぼ正しいと思う。青葉台が東急の広告郊外であったという思想も共感するし、西武はあくまでも西武百貨店であり渋谷という発想も正しいと思う。しかし、例えば現代のセン北に集まろうとする中高生を見て来ている俺だからなのか、ディズニーランドと多摩田園都市をつなぐ発想がないのか、生活実感としてディズニーランドの空気はもっと異質な千葉や埼玉のようなものに思えるし、青葉台の文化はまだわかるが、ディズニーランドはもっと果ての地だと思っている。
これも90年代の鷺沼を生きた僕の恩師は昔、「ディズニーランドなんてなかなか行けるものでもなかったし、例えば豊島園とも違って全部土がないのはビックリした」と言っていたのだが、俺に至っては、ディズニーランドの良さがわからない。
古典的なテーマパークとされるディズニーランドも親の押し付けで行かされてそんな素晴らしいものとも思わないし、83年六本木WAVEの生まれと年にできたにしても、この本でいう国道16号線的、It’s a small worldのスポンサーが長くそごうであったように、鉄道でいうと東武野田線のようなものに感じている。