セゾン亡き後
東京郊外の凡人志向に危惧を覚えていたのは、僕だけではなかった。
そう言って僕は陸の孤島に思いを馳せた。センター北の心理的な東京との遠さ、横浜市営地下鉄だけのせいではないだろう。例えば鷺沼なら渋谷を見る機会が多いが、彼らの姿はマイルドヤンキーに見える。私は、彼らの横浜都民でもない見識の狭さを憂いているのだが、その反面セゾン文化亡き後の郊外を見る気がした。東京から考える格差、郊外、ナショナリズムでもないが、先日90年代前半感の鷺沼を知る数少ない師と話したが彼には確かに港北式のマイルドヤンキーにはない文化が生きていたし、彼らと話し合っても池袋ではなく六本木や渋谷こそセゾン文化の中心であるという思想で一致した。
セゾン文化の基盤が揺らぐなか、私鉄文化圏は緩やかな死を迎えるのだろうか